2020/02/12 08:27

月のうちがわのガスの街に住むマヌの話。
 
ガスの街に住むマヌルネコのマヌは仕事が苦手でした。
仕事にやりがいを感じられず、自分がなんのために仕事をしているのか分かりませんでした。
どうしてみんな楽しそうに仕事をしているのだろう。
そんなことばかり考えているので仕事に集中できず、失敗ばかり繰り返して、なんとなく周りの仲間ともギクシャクしてしまっていました。
どうにも仕事に行く気力がわかず、そのうち仕事をしなくなってしまいました。
趣味を見つけようと色々なことをやってみましたが、どれも長続きしません。
家の中から空を眺め、ぼんやりする毎日でした。
 
ある日、いつものように窓の外を眺めていると、家の前にだれか倒れているのが見えました。
それはオレンジ色のガス採集服にガスマスクとゴーグルをつけた小さなおじいさん猫でした。
あわてて外に飛び出し、おじいさんのもとに駆け寄ると、意識はありますが、動くことができない様子です。
話を聞くと、どうやらお腹が減りすぎて動けなくなってしまっていたようです。
マヌは少し迷いましたが、おじいさんを家に招き、ご飯をごちそうすることにしました。
「ワシはガスの研究をしている博士のゾーナじゃ。研究に夢中になって、食事するのをすっかり忘れとったわ。」
ご飯を食べると博士はすっかり元気になったようでした。
 
一緒に食事をしながら、マヌは博士になんとなく最近の自分の話をしました。
仕事に行けなくなって家にこもっている話や、そのきっかけなど、ぽつりぽつりと話しました。
話を聞いた博士は、「わしに何かできることはないかな?助けてくれたお礼じゃ。」とたずねました。
マヌは特にほしいものもやりたいことも思いつかず、ぼんやりと窓の外を見ていると、博士が「いいものをやろう」と、小さなガスボンベをマヌに渡しました。
マヌが嫌がるのも気にせず、博士はマヌを外に連れていき、なぜか紐を持たせてからガスを吸うようにうながしました。
しぶしぶガスを吸うと、マヌの体はどんどん膨らんで風船のようにまん丸くなりました。
体の中にガスが充満すると、体が軽くなるような感覚になり、やがて宙に浮き、どんどんマヌの家と博士の姿が小さくなりました。
突然のことに驚きすぎてマヌは声が出ません。
 
ゾーナは何に使うか分からないような不思議なガスの開発をしている変わり者でした。
マヌに渡したガスは、気持ちが沈んでいるものが吸うと、気持ちの重さがガスに反応して逆に体が浮くというガスです。
博士が開発してから一度だけ自分で使って以降、そのガスを吸ったものはいませんでした。
 
マヌは、どこまでも遠くまで見渡せるほどの高さまで飛んだところで止まり、ふわふわと浮いています。
地上にいる博士が、マヌが持っている紐を押さえているようです。

目の前に広がる景色は、これまで見たこともない素晴らしい景色でした。
いつも歩いていた街並みや森や川も見えました。
森の緑は青々としており、川の水面がキラキラと輝いています。
いつも見ていた場所とは思えないほど、美しく見えました。
 
そして、空からの景色を見たときに、マヌにとって初めての感情が生まれました。
それは、この美しい景色を自分だけが知っているなんてもったいないような、誰かに見せてあげたいような、そんな気持ちでした。
マヌは今まで感動を誰かと共有したいなんて思ったことはありませんでした。
 
その感情に気づくと、だんだん体の中のガスが抜けていくのがわかりました。
みるみる体がしぼんで、博士が待つ地上に降りてきました。
 
マヌは博士に駆け寄り、興奮しながら空から見た景色の美しさを伝えました。
あんなにガスを吸うのを嫌がっていたのに、今はキラキラと目を輝かせているマヌを見て、あまりの変わりように博士は大きな声を出して笑いました。
 
マヌはすぐに家に戻り、続かなかった趣味の道具の中からカメラを探し出して外に飛び出しました。
目に映る美しいものを次から次にカメラにおさめます。
その写真を持って勇気を出して仲間に会いに行き、心配をかけていたことを謝りました。
美しい写真を仲間に見せると、みんなに笑顔が生まれました。それを見たマヌはその笑顔をカメラにおさめます。
笑顔が笑顔をつないで、みんな優しい笑顔になりました。
その笑顔の中で、マヌはうれしいような楽しいようななんだか温かい気持ちになりました。
 
マヌはいま写真屋さんをやっています。
毎日美しいものとみんなの笑顔を写真におさめています。
「何のために仕事をするか分からない」と言っていたマヌですが、いま自分が仕事をする意味を見つけたようです。