2019/10/13 03:45
※いつもよりかなり長いです。
雷の街は危険がいっぱい。
触っちゃいけないもの、行っちゃいけない場所、見ちゃいけないこと。
危ない!ダメ!やめなさい!
そっち行っちゃダメ!それを触っちゃダメ!あの光を見ちゃダメ!
あの音をずっと聞いていてはダメ!あれはダメこれもダメ!ダメダメダメ!
部屋の隅っこに座って、棒みたいなのを転がしている時、ふと思った。
なにをしたらいいのかわからない。しちゃいけないことは怒られたからわかる。
でも、なんで怒られるのかわからない。ダメダメダメだから?なんで?
これは壊れてるから触っても平気。転がしても怒られない。
でも、他のものは触っちゃダメ。お外はダメ。靴はダメ。たまにダメじゃない。
ゴロゴロは聞いてちゃダメ。ピカピカは見ちゃダメ。
ビリビリは近づいちゃダメ。ダメだから。危ないからダメ。危ないってなあに?
走っちゃダメ。空を眺めながら歩くのもダメ。下見て歩くのもダメ。
前見て歩くのは大丈夫。でも、お外でもなにかに触っちゃダメ。ダメダメ!アブナイ!!
ずっと壊れた蓄電管を転がしてる。
真ん中が膨らんでる筒で、少し歪んでるから真っすぐ転がそうとしても転がらない。
なんで?って聞くと怒られる。危ないでしょ!ってそればっかり。
話を聞いてもらえない。話をしてもらえない。
最近わかるようになったのは、話してもわからないと思われてるってこと。
どうせわからない、って思ってるから、なんで?って聞くと怒るんだ。
なんで?って聞かないで言われた通りにするとえらいってほめられる。
なんで?って言わないことがえらくて、ダメをしたら怒られる。
壊れた蓄電管。真っすぐ転がらないとダメなんだって。
いつからこれを転がしてるんだろう。いつまでこれを転がしてるんだろう。
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雷の街、戦争当時は雷の国では、戦争時代、無気力、無感動な住人が大半を占め、それが雷の国の特徴の一つとされていた。
それが原因で、最強に近い技術力と地の利があったにも関わらず早々に侵略され、鉱物の国と機械の国の主戦場となった。
戦争が終わり、国は街となり、世界のすべての人が前を向いて進んでいたある日、雷の街の国民性に興味を持った研究者がいた。
植物の街の薬草研究家のオオカミで、ラクという名のその研究者は、心を癒す薬草を完成させるべく鉱物の街に向かっていた。
たまたま立ち寄った雷の街の雰囲気は空に広がる雷雲よりも暗く、無表情で言われたことだけをやる住人ばかり。
戦争による心の傷を疑ったが、調べてみると戦争が始まる前からこうだったようだ。
世界中にいるネコ族やイヌ族、うさぎ族などの種族であっても、他の国に比べて明らかに学習能力が低く、活気がないことが不思議だった。
一般的には常に雷雲に覆われて薄暗い街にずっといるとこうなってしまうんだろうという説や
雷の音と光、電気には活気を消失させる効果があるという迷信じみた説が信じられていた。
本当にそうだろうか?もしそうなら、雷の街から他の街に移り住んだなら活気が戻るはずではないか。だがそんな話は聞かない。
きっと他に原因があるはず。どうにか彼らの心を元気にしたい。
そう思ったラクは、雷の街で知り合った新人の雷採集士カモノハシ「トロボ」に協力してもらって、雷の街で暮らし始めた。
雷鳴や稲光が心や体に与える影響を、自分自身の体やトロボとその仲間カモノハシを使って調査したり
色々な植物がどのような影響を受けるか、雷の街から別の街に移った人の話を聞いて周ってみたりもしたが
特にこれといった進展はなかった。
ひとつ気になったのは、生まれて歩けるようになるあたりまでは、他の街の子供とあまり差がないことだった。
自由に歩き、走り回れるようになったあたりから、徐々に無関心になっていく。
雷の影響を受ける年数が、ちょうどその頃なのだろうか?
これといった原因が見当たらないまま月日が過ぎたある日、トロボに子供が生まれた。
ラクは自分のことのように喜び祝福した。
その結婚は、トロボの親に「そろそろ子どもを作りなさい」と言われたからだそうだが
いざ子供が生まれてみるととても愛おしく、見たことがないくらい感情いっぱいで喜んでいた。
そんなトロボとそのお嫁さんを見て、ラクもとてもうれしくなった。
子供ができてもトロボはラクの研究を手伝うと言ってくれた。ラクが子供を観察することに最初のうちは協力的だった。
だが子供が成長するにつれて、徐々にトロボの態度が変わっていった。
ラクとの長い会話を避けるようになり、研究結果についての意見を求めても資料をあまり見てくれなくなった。
ラクの研究にたいしてというより、子供が動き回って危ない目に遭う時ラクが邪魔で止められないかもしれないことを恐れているようだ。
ラクが家にいくとトロボとその嫁は子供たちに対して叱っている場面が多くなった。
無理もない。操作を誤れば感電の危険がある道具だらけだ。外に出れば落雷の危険と隣り合わせ。
絶縁靴を履かずに出れば足元から感電する危険もある。
あれはダメ!危ないでしょ!やめなさい!
ラクは一族の老オオカミから聞いたことを思い出していた。
若い夫婦が子供を育てるとき、その育て方は自分が親にされたことか、もしくはその真逆をしようとすることが多いそうだ。
そして怒鳴ることが多い子育ては親も子もお互いを信じられない関係になっていくのだそうだ。
だからオオカミは一族で子供を育てる。親もまだ幼く、子育てを知らないから、親の親が育てている様を見て学ぶのだ。
ラクはトロボに聞いた。
「トロボも子供の頃はこうだったのかい?親からこうして叱られていたの?」
トロボも嫁も、子供から目を離さずに答えた。
「当たり前だよ。雷の街ではどこの家もこう育てると昔から決まっている。でなければ大人になる前に死んでしまうよ。」
ラクは一つの仮説を立てた。
雷の街は他の街と比べて子供の死亡事故が多く、親たちは子供の一挙手一投足に過敏に反応した。
何をしても叱られ、その理由さえもわからず、大人しくしていることをほめられ続けた結果、好奇心や自発性を持たない子供が育つのではないか。
それが大人になる頃、仕事を教わる段階で、なかなか仕事が覚えられず自信をなくし、自分は価値がないと感じ、自分に絶望する。
好奇心は学習能力の燃料だ。無関心では何かを覚えることは難しい。そしてできない仕事に対してやる気を出すことは難しい。その結果の無気力。
つまり問題なのは、子供の育て方にあるのではないか。
ラクはさっそく、この仮説をトロボに聞かせたが、トロボの表情は曇った。
にわかには信じられない。僕の育て方が間違っていると?僕の親も、そのまた親も、間違っていたと?
それは雷の街の住人全員を否定することと同じじゃないか。トロボは静かにそう言った。
ラクは根気強くトロボに言って聞かせた。否定するつもりはない。親が子に持つ愛情の形として、心配は当然のものだ、と。
「トロボ。心当たりはないかい?子供の頃、なにもしてはいけないと思ったことは?」
そうだ。僕はこれを愛されているとは受け取れなかった。むしろ信じてもらえていない。信頼されていない。
頭が悪い、どうせわからないだろうと理由も聞かされずに興味や行動を否定され、わからないことをなんで?と聞いたら怒られた。
まだ怒りの感情が残っていたが、ラクの言葉で幼い自分が感じていた、大人への不信感を思い出した。
トロボの表情で察したラクは、トロボの目を見て言った。
「トロボ、お願いだ。協力してくれ。今ならまだ間に合うはずだ。」
一瞬目を伏せ、また目を見たトロボは、ためらいながらうなずいた。
トロボの奥さんへの説得はより大変なものになったが、やはり奥さんも大人への不信感に心当たりがあったようで
子供が走り回れるようになってから1年間は様子を見ると言ってくれた。
ラクは、「子供を子供と思わないこと」を徹底させた。思慮と経験が浅いだけの、同じ種族だと。
いけないことはいけないが、それをいけないと理解させる方法が大事なのだ。
怒りに任せて言葉を荒げ、恐怖によって躾けるそれは、国民を愚民だと決めつける独裁者のそれと変わらない。
オオカミという種族の子育ての仕方を取り入れて、トロボの親や奥さんの親に協力してもらうことになった。
最初は困惑していたトロボや奥さんの両親達だったが、ラクやトロボの必死の説得にしぶしぶ了解した。
トロボの子供たちは、祖父母やその友人に育てられつつも、一緒に暮らす親からの愛情を一身に受け、すくすくと育っていった。
最初はトロボ達を白い目で見ていた子持ちの住人達だったが、明るく頭もよく元気に笑うトロボの子供たちを見て
どうやって育てているのか相談しに来るようになった。
そうして徐々に街ぐるみで、子供の育て方について考えるようになっていった。
どう説明すれば理解してもらえるか。雷の街の危険を、子供に自然に理解してもらうにはどうしたらいいか。
雷の街の子育てブーム、というより革命が起こったのである。
そうして、活発な子が親を、そしてその親を変えていき、今の雷の街がある。
雷鳴に負けず劣らず元気に仕事をする雷の街の住人は、他の街での落雷被害にも稲妻のごとき速さで駆け付けてくれるそうだ。
ラクはトロボの子供たちが元気に育つ様を見て、役目は終わったと街を去り、鉱物の街へと旅立っていった。
ラクは雷の街で英雄になった。
雷の街の親の愛は、落雷のようにギザギザ曲がって、いろいろ人な愛とともに、我が子に届く。
ラクが雷の街にもたらしたその効果もまた、落雷のように、近くの人々に感電していった。
そんな雷の街の英雄「ラク雷」のお話。